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ある老猫のたわごと

~最近の若い猫は・・・~
                                                      
                                                   

                                    2020-3-29 
 記 玉上佳彦


 吾輩が昔、現役バリバリの猫だった頃、ご主人様やご近所の猫好きの人達から与えられたご馳走を、たとえご一家の食べ残しであれ、近所からのもらい物であれ、ありがたく頂戴したものである。冷や飯に味噌汁かけて、イワシの頭や骨がそえられていれば、最高の食事であった。なにしろ、我が猫族は「猫舌」なので、できたてのホカホカのご飯は全くダメで、冷や飯に味噌汁が大好物ときている。魚ならば、熱い焼きたてでないかぎり、生きていようと、焼いてあろうと、はては多少腐った煮魚だろうとなんでもござれの胃袋をしているのである。スズメなどの鳥類を襲って喰うのは無上の楽しみであり、ネズミも追いかける楽しみとともに、なんともいえない肉の味わいがあったものである。
 ところがどうだ。最近の若い猫ときたら、人間の作ったまずいペットフードの味に慣らされてしまって、これらの本来の猫族の食事というものを忘れてしまっている。なんとも情けない話ではないか。


 吾輩は猫である。飼い主のいないレッキとした野良猫である。人間の世界では西武グループの本拠地という「所沢」というところに住んでいる。野球とかいうゲームの西武ライオンズというチームのある街として有名らしい。 我々由緒正しい野良猫にとっては、西武ライオンズではなく、「所沢キャッツ」というチーム名にしてほしいのだが、弱そうなチーム名なので、止めておく。

 この所沢のある町に「玉ちゃん」という猫の名前のような人間の一家が住んでいる。その玉ちゃんちには、二人の可愛い女の子がいる。ももちゃん、ゆみちゃんという二人は猫が大好きで、野良猫の我々に、勝手に名前をつけて、かわいがってくれている。
 多少迷惑なところもあるが、いろいろなネーミングを楽しんでいる姿をみると、さほど悪い気はしないものである。その名前のつけ方の一部を紹介しよう。


 チロ:小さくて旨の部分が白い猫

 チケ:小さい三毛猫

 コパ:パンダのような白黒の顔をした親猫の子供

 クパ:パンダと黒猫の子供、コパの妹?

 コマチ:小野小町のような美猫

 チマキ:コマチの妹で、小さい美猫   等々

 彼女らによると吾輩の名前は「シロバー」らしい。年老いた白猫だからだが、外見からどうもメス猫にみられているらしい。吾輩は立派なオス猫だから、「シロジー」ということになるのだが、いまさら細かいことにこだわる歳でもないので、このままで通している。

 話をもとにもどそう。玉ちゃんちの家族は皆、魚が好きらしい。よく我々にいろいろな魚の頭や骨などのご馳走を出してくれる。昔は、これを野良猫仲間で競ってとり合いしたものであるが、最近はとり合いの跡もなく、そのまま残されていることが多いようだ。
 最近の若い猫は、魚に見向きもしないらしい。魚の喰い方を知らないのかもしれない。たまに出てくる鶏の唐揚げなどはすぐになくなっている。たぶん二人の女の子が、魚を喰えないかわいそうな猫のために出してくれたのだと思うが、世の中変わったものである。この前は、若いメス猫(コマチかチマキだと思うが)のために、二人はチーズやハムを与えていた。あんなもののどこがうまいのか吾輩にはまったくわからないが、たいそう喜んでいたようで、情けなくなってしまった。


 人間様の食生活が大きく変わってきて、家で魚を調理しなくなったことが、我々猫族の食事にも大きく影響しているのであろう。骨の無い切り身魚では、我々に食べ残しがまわってくることも少なくなることは当然であろう。 それ以上に吾輩が気に入らないのは、キャットフードとやらの画一化したエサに満足してしまっている今どきの若い猫どもの感覚である。キャットフードにもブランドによって、味や食感にかなりの違いがあるらしい。カルカンがいいというものもいれば、ゲインズがうまいというものもいる。しかし、吾輩はこのような既製品の味に毒されて、自分の心と体の健康を損ないたくない。これからも玉ちゃんちで出してもらえる魚を中心に、伝統の猫族の食生活を守っていきたいと思ってる。

 ただ、我々猫族のいけないところは、野菜の類をほとんど食べられないという点である。昔からそうなのだからしかたがないのだが、最近の吾輩にとって、やや栄養が偏っているのではないかと不安になってくる。最近は天候のせいで、野菜が高くなって困っているらしいが、もし我々猫族が野菜が好きだったら、たいへんだったかもしれない。
 近くの小学校で飼われているウサギなどは、八百屋さんからもらっていた野菜くずが少なくなって、ひもじい思いをしているようだ。かわいそうなので、小学校ではラビットフードとやらを併用して与えているそうだ。ウサギの食生活ですら変わりつつあるのだから、猫の食事にこだわっていてはいけないのかもしれない。


 老いた吾輩には、もう世の中の動きについていけないのかな。老兵はおとなしく引き下がらなければいけないのだろうか。猫には猫なりの新しい食文化がかたちづくられていくのだろう。黙ってみていようと思う。

 永く生きてしまった頑固な老猫の愚痴と思って、ご容赦いただきたい。ごめん‼ 

 〔この駄文は、私が現役時代(1992年)に会社の社内報に投稿したものを手直ししたものです〕