ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン


東日本大震災リポート  通巻№36

「宮城県石巻市の夏祭りに参加して」

                           2018 09-12     記 松岡 幸雄
                                                      
                           


 あの「3・11」から7年5カ月後の8月20日、私は、また石巻市を訪ねました。1年前の3月11日「7回忌」が行われた慰霊祭以来です。いつものように寝袋・着替え少々・洗面用具・軍手・カメラなどを詰めたリュックを背にし、右手にはマジックの道具を入れた「?マーク」のケースを持って出かけました。  

     仙台からの車内の掲示板に・・・

新所沢・本川越・川越・大宮駅から東北新幹線「こまち」で仙台に。そこから「仙石東北ライン」の快速に乗り換えて約1時間で石巻駅着。自宅を出てから約5時間。この電車内で目に留まったのは「津波警報が発表された場合のお願い」というしっかりとした掲示板でした。①乗務員の指示に従って落ち着いて。②避難はしごの組み立てや降車の補助に協力のお願い。③線路に降りたら・・・。もう一枚の掲示板には「車外へ出る場合」として「はしごを使わない場合」「はしごを使う場合」と分けて、4枚の写真と丁寧な説明が書いてありました。
 あの時に、実際にツナミで被災した路線であることと、それだけに丁寧な対策であることを、改めて実感させられました。

                  ★

石巻駅から街並みをじっくり見たくて目的地のお寺まで1時間ほど歩きました。一見すると、きれいな建物と看板やのぼりなどで賑わっているようで、何もなかったかのようでした。しかしよく見ると歯が欠けたようにぽっかりと空き地があり、後継者がいないのか? 売りに出された土地なのか? 日本の多くの地方都市ではよく見かけますが、とても寂しい思いになります。
 うれしい「再会」もありました。いつも気にしているお宅を訪ねました「元気でしたか?」と。顔を見るなり大きな声で・・・。「おばあちゃんや息子さんも元気で何よりですね」・・・とっても喜んでいただき、私も嬉しかったです。あれこれ積もった話ができるって、何か温かい気持ちになります。冷えた「リポビタン」をいただき美味しかったです。
 

       祭りが始まっていました~~

 あの日の翌年から大変お世話になっている松巌寺(石巻市湊町)の広い境内は、全国から寄せられた「黄色いハンカチ」が数珠つなぎのロープで張り巡らされていて、大きな太鼓の音に圧倒されて、すごく盛り上がっていました。
 櫓と太鼓を中心に周りは10張りほどのテントがあり、その中のテーブルと椅子には被災者や地元の沢山の方々が祭りを楽しんでいました。





 おもちゃ・くじ・ビール・焼きそば・焼肉などのコーナーがあり、炭火でのジビエの手伝いの後、私は持参した浴衣に着替えて盆踊りに飛び入り。見様見まねの仕草なので笑いを誘いましたが楽しみました。東京都町田市から来られたヨサコイ踊り・太鼓やオカリナ・地元の女性7人によるスコップ三味線「スコッパーズ」など多くのグループの演技が続き、祭りの最後は、プロ並みの花火の組み合わせと至近距離でのナイヤガラ等に圧倒されてのフィナーレでした。

                   ★

 その後の「反省会」は、ボランティアと被災者を交えた30人程で、お寺の宿坊で賑やかにしかも真面目に行われました。被災者で、こうしたイベントに毎回手伝ってくれている若者からおばさんまで何人もいました。私のマジックを知っていて待ち望んでいた方もいて、「心の復興」の一助になっていることを肌で感じてとてもうれしかったです。
 翌日朝からの猛暑の中、テント・テーブル・椅子などの片付けです。軍手をはめての慣れない作業で、汗いっぱいでクタクタでした。

      復興住宅が、どうして浸水区域に? 

私は不思議でした。大きな船が横倒しになっていた「浸水地域」に「復興公営住宅」があちこちに建てられ、そこに入居することが、この2~3年間、どうしても理解できなかったのです。「津波で我が家を流されて壊されて、多くの親族や知人が亡くなった所なのに、どうしてそこにまた住むのですか? もっと安全な所に・・・と考えないのですか?」と。
 はじめて、復興住宅の中にお邪魔しました。「大震災まで住んでいた所から離れられない」気持ちが、「はじめて」解かる気がしました。すぐ近くの海から流れて来る潮の香がなんとも心地よく、見える街並み、見える丘や山・・・360度の景色の全てが、これまでの人生だったのだから、落ち着くの・・・。
 狭い部屋の一角にきれいに飾った小さな祭壇がありましたので、そっと合掌しました。「ひょっとしたら帰ってくるかもしれない」。あの子が。旦那が。妻が。孫が。祖父母が・・・。「ここに居たことは間違いないから。」「あの時までの全てを忘れないで、大事に心に持っていたいから。」

 今回もまた、充実した時間と、いつまでも心に残る旅でした。

                          (2018・9)