ところざわ倶楽部          投稿作品       エッセイ&オピニオン

「ところ学」を通して改宗を

                                                      
                                                                                     2016 4 -06  記 水上 俊彦
                                          (葵の会 22期)



昨年(平成27年)の10月24日所沢生涯学習センターにて開講式を行い、6回に亘って行われた野外学習と座学に

より構成された「ところ学のすすめ」講座は受講生による最後の「学習成果発表」と「学びのレポート」及びポスター

作りにより今年の3月5日、全てを終了した。講座は3つに分かれていて、Aコースは渡辺隆喜先生の「所沢の幕末・

明治」、Bコースは大堀聰先生の「所沢の自然」、Cコースは福士正博先生の「所沢の産業」で総員71名が学んだ。

受講生は自己の選んだコース以外に他のコースの聴講が許され、またそのように日程が組まれている。私は自分が選ん

だ「所沢の自然」の講座の他に聴講可能な他のコースの講義には全部出席した。私の住む近くの狭山丘陵の自然に魅せ

られてBコースを選んだのであるが、私には他のコースもとても魅力あるコースであった。特にどのコースも6回の内

、2~4回野外学習を行い、実際の現地現場で説明を受け見ることが出来た。“60の手習い”と言うが全く恥ずかし

いかな、所沢市にはもう20年以上も住んでいるのに三富地区とか、滝の城址など聞いた記憶も無く全く知らないこと

ばかりであった。


所沢の人口は昭和31年には約5万7千人であったそうだが、現在は約34万3千人に膨れ上がっている。大凡29万

人は他所からの移住者とその家族と言える。東京都心から30キロ圏にあり、近郊への通勤者にとっては便利なのでベ

ッドタウンとして人口が増加してきたのだ。ほとんどの人は“所沢都民”と言われても恥じを感じることのない、所沢

のことは知らない住民なのである。「学びのレポート」を読むと我々「ところ学」を学んだ71名のうち、3~4名を

除いて皆他県出身者と窺えて、異口同音に「ところ学」を通して初めて所沢のことを知ったと述べている。無理はない

。60才や65才で定年を迎えるまでは自分の故郷は40、50年前の自分の生まれ育った所と思って来たのだから。

でもこの地に居を構え子供も成長すると、いつまでも40、50年前の自分の故郷を子供に押し付ける訳にもいかず、自

ずと所沢が第2の故郷とならざるを得ない。子供達はこの地で育っているから、何の抵抗もなく所沢を故郷と公言でき

るだろうが、我々大人のよそ者は口ごもるのであるが、所沢と言っても何のバックグランドもないし、ただ寝に帰って

来た所ぐらいしか覚えがないのだ。その妻も同じように他国者のはずである。もはや自分の生まれ在所には帰ることも

出来ず、このままでは本当に寂しい存在といえる。“老いては子に従え”という諺もある。行く行くは子に面倒を看て

もらう年になるのである。いい加減に生まれ故郷のことはさて置き、所沢を愛する心を持ち、ここで育つ孫の成長に期

待をして、自らも所沢のことを知ろうと努力すべきである。三富地区も知らず、狭山丘陵も知らず、また滝の城址やカ

ルチャーパークも知らずでは悲しい。この辺りで自らの心の改宗をすべきではないのかと考える。「ところ学」はこの

意味でとても理に叶った虎の巻の道場なのである。是非夫婦共々「ところ学」で学んで改宗することを勧めたい。


  



白石城にて