ところざわ倶楽部      想い出の赴任地        エッセイ

サウジアラビア

2016 2 -27  記  田中 建夫


 

数多い土挫まわりの中で最も刺激的な赴任地はやはり「サウジアラビア」である。

 

35才になって間もない1982年5月の連休明けに課長から飲みに誘われた。それとなく下心ありそうだとは思っていたが、案

の定「サウジアラビア」へ行ってくれ!と。帰宅してから、サウジアラビアってどこ?と世界地図を見る。

 

そもそも田舎者の私は外国など全く眼中に無かった。とっさに「考えさせてください!」とその場では言ったが、さほど能力

も無い私にせっかく白羽の矢を立てた社命なので受けるしか前途は無い。

 

当社として初の大型プロジェクトを先月「サウジアラビア西部電力省」から発注されたとのこと。当時、サウジアラビア電力

省は中央、西部、東部に管轄が分割されていた。「西部電力省」はサウジアラビア西海岸の紅海に面した大都市「ジェッダ」

にある。

プロジェクトは、ジェッダの北「ラビ村」に新設する火力発電所から「ヤンブ石油コンビナート基地」への電力供給プロジェ

クトである。工期はたったの2年で、既に4月から工期カウントされているとのこと。これまでの日本での経験からとても想

像できない。「出来るの?無茶ではないか!」と青くなった。

石油コンビナート


数日後には初めてパスポートなるものを手にした。入国ビザも必要と言う。

キックオフミーティングも5月下旬にやると決まってしまった。すぐに現地に出かけるのでドタバタになった。新婚旅行以来

の、人生二度目の飛行機、しかも初の海外渡航である。営業の部長と当部門の課長及び係長に同行した。

 

南廻りアテネ行きJAL直行便に乗る。出国手続きもままならず上司の後を追う。

バンコックとカラチにて休機、あたりは夜である。休機の都度、乗客全員機内から出され、空港内にて待機。出発アナウンス

など聞き逃して置いて行かれるのが心配で、寝ている場合ではない。カラチ空港のトイレに入ったが、朝顔が高い。つま先立

って上に向け放射した。さすが外国人って足が長いものだと、短足の私は妙に感心した。

休機時間を含めおおむね20時間の飛行である。6時間の時差があるのでジェッダにつくころにやっと夜明けとなった。ふと

窓から下を見ると赤茶けた大地が眼下にひろがり、「ひょっとして火星まで来たか?」と錯覚するくらい。

 

ジェッダ空港に着く。制服の入国審査官が下目使いに無言でパスポートチェックをする。威圧感があり、小心者の私は緊張し

た。スーツケースも悉く中身をチェックされた。当然だが、まわりは外国人ばかりであった。ヨーロッパ系の人、白いアラビ

ア服を着た男性や黒装束(アバーヤ)の女性も多い。初めて目の当りにする。

ホテルで仮眠したが、早速、その夜6時からミーティングがあると言う。聞くと、ちょうどラマダン(断食)の時期で、日没

後の夜間に活動するのだという。夏・冬季時間は聞くが、外国に無知な私は戸惑うばかりである。

 

いよいよキックオフミーティングが始まった。上司はジャパニーズ英語なので多少は理解できるが、相手の外人さんたちが話

す言葉と内容がまるで分らない。そして、会議の終盤になって「あとはこの田中がやります!」と上司の口からでた。途端に

全員が私を見る。「なんてことだ!冗談でしょう!」と心中叫んだ。

 

その後も、客先担当者たち、ドイツのコンサルタント、現地のロイヤルコンサルタント、エイジェントなどと、打合せが連日

めまぐるしく続く。頭の中はグルグルでパンク寸前である。

 

約一週間後、課長と係長は私を残して、本当に帰国してしまった。さて、弱った!英語もまともに話せないのだ。やりきれ

ないほど心細い!

しかし、幸いなことに禁酒の国なので、夜は外出もせず酒も飲まずに、ホテルで中学時代の英語と技術の勉学にいそしむこと

が出来たのは幸いした。まさに実践訓練だ。

 

現地での協力会社はパキスタンの現地法人で、既に下請け契約を交わされていた。まずは、そのパキスタン人の技術屋たちと

打合せ、現地を見ながら具体的に今後必要なもののリストとアクションプランの作成を開始することにした。また、協力会社

の現場事務所と資材置き場の一角に我々のコンテナハウスを設置してもらい、当面のベースキャンプにすることとした。

 

約一か月後に一時帰国し、2週間後再び測量隊6名とともに現地入りしてルート選定と測量作業にかかる。

測量隊のリーダーは奇遇にも私と同郷で、出稼ぎ同士がこんなところまで来て、一緒に仕事することの奇遇に不思議な縁を感

じた。彼とは今でも交友を結んでいる。



ハイウェイ?


ジェッダとヤンブの間は片側一車線の道路が唯一の輸送と交通の手段である(上図)。途中に2~3カ所のサービスエリアは

あるが、それ以外は、土漠、砂丘、枯川、岩山などで樹木もほとんどなく人家も見えない。大陸横断道路のようなほぼ直線道

路で、大型のトレーラーやトラックなどが時速100~150kmで追い越したり、すれ違ったりで恐ろしくなる。

道路の両脇には、事故に遭遇した車の残骸をよく見掛ける。ラクダの死骸もある。

工事中にも、日本人が巻き込まれ数名が死亡したことを聞いたことがある。

ルートはその自動車道路からおよそ10km入った丘陵に沿って選定することになった。

 

測量しながら4WDでルート候補地の原野を歩きまわる。砂嵐に会うことも多く、顔が砂塵に打たれて痛い。ホワイトアウト

で一歩も進めない。

冬季以外は酷暑が続き、毎日ペットボトルの飲料水を各自2リットルずつ持ち歩くが、作業終了時は空になる。発汗しても蒸

発してしまい塩だけが肌に残る。車のボンネットではタマゴ焼きも出来るほどで、スニーカーの靴底も接着剤が溶けてすぐに

剥がれてしまう。



現地調査中



サンドヂューン(砂山)では横転や車輪を取られないように、風上側の固そうなところを選びながら走る。また、ワディ(涸

川、涸沼)では平らで一見表面が固そうに見えるが、下手に車で踏み込むと表層が壊れて泥沼に車輪を取られ亀の子になって

しまう。

我々も不運に経験してしまった。車を捨てて遠方に見えるトラックなどの往来にむかって、乾きに耐えながらひたすら歩いた

。結局10km位歩いてやっと自動車道路にたどり着いた。涸れ川と蜃気楼の怖さをしみじみ味わった。

 

ある日、農民らしいベドウィンが現れ、我々に疑心を持って近づいてきた。ジェスチャーとアラビア単語を並べてどうにか説

明すると、再度現れ、今度はスイカを差し入れてくれた。

また、4~5人のベドウィン自衛団が車で現れ猟銃の銃口を向けて来たこともあった。さすがに生きた心地がしなかった。

朝食はフレンチトーストとヨーグルトなどで済ませ、昼食はパキスタン人の作る弁当である。たまにはサービスエリアの食堂

などで摂ることもあるが、言葉も通じないので、キッチンまで行って鍋のなかを覗いては「これ!」と指差して注文する。実

に厳しい食糧事情であった。

 

ロイヤルコンサルタントのルート承認とドイツコンサルタントの設計承認を区間ごとに得ながら、ほぼ半年後にはほぼルート

が決定し、資材の数量も確定してきた。

同年10月ごろにはハイウェイにそった2つの村にそれぞれ借り上げの現場事務所を設置した。同時に、現地で数人の外国人

ドライバーやヘルパーを雇用した。

また、技術および管理スタッフも徐々に本社から合流、日本人コックも入れて施行管理体制が整ったので、いよいよ同年11

月に資材輸入を開始、本格的工事に着手した。
食事の心配も無くなったのにはホッとした。

 

工期が極めて短いため、一日も無駄にできない状況で、休日は日曜日のみである。幸いにも雨季が無く雨に悩まされることは

少ないが、強風に伴う砂嵐には外部作業が中断する。

また、パキスタン人の作業員や現地雇用の人たちはほとんどがイスラム教徒のため、ラマダン(断食)期間中のほぼ一か月は

作業効率が格段に落ちてきた。日中は飲食をしないので、パワーが出ない。また、イスラムの聖地である「メッカ」や「メジ

ナ」に参拝するハッジ(聖地巡礼)期間があり、サウジアラビアのみならず全世界のイスラム教徒が集まってくる。

空からの入口にあたるジェッダ空港は巡礼者たちであふれんばかりで、一本だけの自動車道路も車の列が連なり、工事進捗に

も直接影響した。
我々のような異教徒は聖地への立ち入りは許されない。


住宅廃墟群


男ばかりの現場の管理スタッフにとって休日の楽しみかたと言えば、たいていは宿舎内でマージャンなどのゲームや日本より

持参したビデオ映画を楽しむくらいである。それでも、比較的涼しい時期などは、周辺の小高い山などを探索することもあっ

た。緑は無く、岩や砂だけであるが、涸れた川の周囲などに廃墟になった石積みの砦や住宅跡が所々見つかる。水を追って廃

墟にしたと思われ、いにしえのベドウィン部族の生活ロマンを感じることができる。
もとより観光で行くような国ではないが

、一般人でもほとんど見ることはないであろう。



住宅廃墟で、ドライバーと一緒に


村や街には必ずモスクがある。日本でいえば町の集会所とお寺を兼ねたような場所で、一日5回の礼拝時刻にはタワー頂部の

拡声器でアラーへのお祈りを大音響で流す。


当然、我々の宿舎にも聞こえるので、夜明けには目覚まし代わりになる。聞きなれると荘厳で清々しい感じになる。ついでな

がら、サウジアラビア航空では旅の安全を祈る機内アナウンスが出発直前にある。「アラーアクバル!・・・」と男性の低い

荘厳な声で意味不明ながら神の加護があるようで、何故か神妙になってしまう。

 

電力省と打合せのために大都市ジェッダに行くことも多いが、ジェッダ空港には鶴のマークの飛行機が駐機しているので、車

を止めてしばし遠くから眺めることがある。
半年以上も帰国が叶わない状況下で一時郷愁にふける。

ジェッダにはいろいろなスーパーマーケットやレストランも多く不自由はない。また、個人店舗が集まった「スーク」と呼ば

れる市場も多く、中でも金や金細工を扱う「ゴールドスーク」などが大変なにぎわいである。ネックレス、ブレスレットなど

の金の装飾品を多く身に着けている女性はそれだけ愛され、または尊敬されているらしい。

 

サウジアラビアでは、労働を担っているのは主に周辺国からの出稼ぎにきた男たちで、我々のように各種建設工事に従事する

のもまた外国人労働者である。銀行、スーパーやスークの周辺にはマシンガンを手にしたポリスを多数見かけるので、非常に

治安が良い。しかし、中には罪を犯す人もいるようで、公開斬首刑の執行日程が新聞に載っているのを見かける。斬首は勿論

、石投げ、むち打ちなどイスラム法に基づく処刑方法には厳しいものが多々ある。

我々も十分に気を使ったところである。

 


プロジェクトは2年後に所定の工期より約一か月早く試験も含めて完工できた。

建設工事に係った作業者は述べ約6万5千人で、パキスタン人の他10か国に亘る多国籍軍であった。

大型で、極端に短納期の突貫工事なのに、ひとつとして事故も無く無事終えることができたが、カルチャーショックをたらふ

く経験した。
外貨稼ぎは大変なものだ!

 

8か月ぶりに帰国して家族と休暇を楽しむ(上)美しい緑と清らかな水の流れに癒される。四季があり自然が多い日本って

、やはり素晴らしい!

 

以上